「死ぬときに人はどうなる?」現役医師に聞いた

【出典】女性自身 記事投稿日:2017/12/16 16:00
         最終更新日:2017/12/16 16:00

 2017年も終わりに近づいている。今年亡くなった方々の追悼特集がメディアで組まれるこの時期、今一度“死”について考えてみたい。
例えば、死ぬときに人はどうなるだろうか?

■死ぬときに人はこうなる――3つのタイプ
 「死に至るまでの経過は人それぞれですが……」
 そう前置きして答えてくれたのは、緩和医療医の大津秀一先生(東邦大学医療センター大森病院 緩和ケアセンター長)だ。

 大津先生は、ホスピスで主に高度進行期・終末期がん患者の心身の苦痛を和らげる“緩和医療”を行っている現役医師。これまで2,000人以上の患者を看取ってきた経験から著書も多く出版しており、ベストセラー『死ぬときに後悔すること25』や、同書の続編にあたる近著『死ぬときに人はどうなる 10の質問』(光文社知恵の森文庫)などで知られている。

 「海外のある専門家は、死に至るまでの身体の変化の過程を、3つに分類しました。1つ目は、最後の2か月くらいで急速に機能が低下するタイプ。代表例はがんです。2つ目は、悪くなったり、戻ったりをくり返しながら徐々に機能が低下し、最後は比較的急な経過をたどるタイプ。代表例は心疾患や肺疾患の末期です。3つ目は、機能が低下した状態が長く続き、ゆっくりと衰えていくタイプ。代表例は認知症や老衰ですね」(大津先生/以下同)

■“ピンピンコロリ”は多くない
 いわゆるPPK(ピンピンコロリ)は、どのくらいあるのだろうか?
 「そのような最期を迎えられる方は多くはありません。また上記した3つのタイプも、あくまで“大別すると”というもので、実際には患者さんそれぞれの病気の種類、がん患者さんならそのがんの種類、医療のいかんによって個人差があります。1,000人いれば、1,000種類の最期があります」

■ドラマのような“最期の時”は少ない
 ドラマで描かれるような感動的な“最期の時”はあるのだろうか?
 「緩和医療医としてさまざまな最期を看取りました。例えば、医学的な常識では考えられない状態にありながら、しっかりと自分を保って生き、家族の絆を確かめてから亡くなられた方もいます。そういった最期に立ち会いますと、私自身、いろいろと考えさせられます。ですが大体において“リアルな死”は、“作り物の死”のようにきれいごとでは済まされないです。人間の本性があらわになる場面もあり、ドラマのような美しい最期はそう用意されていません」

■おなじみのセリフ『余命●●か月です』は、実際には使われていない?
 緩和医療の現場では、余命宣告もドラマとは少し違うという。
 「ドラマの医者がよく言う『余命3か月です』といった表現も、私たち緩和医療医はあまりしません。余命予測を伝える際は、年単位、月単位、週単位、日単位、時間単位に、“長い”“短い”といった形容詞をつけて表現することが多いですね」

■余命週単位から日常の立ち振る舞いが困難に
 死ぬときに人は、具体的にどう変化していくのだろうか?
 「個人差が大きく、あくまで時期と症状は参考程度に聞いていただきたいのですが、がんの場合、日常の立ち振る舞いが障害されるのが余命週単位に入ったころです。そこから状態が悪化し、余命日単位に入るとだんだんと眠っている時間が増えてきます。余命24時間前頃が最も苦痛が強いようで、見ている者にも辛い時間です。それを乗り越えれば、多くの場合は、最期は穏やかな時間が待っていると思われます」
 以下に、大津先生が語ってくれた余命単位ごとの変化の一例をまとめてみたい。

【余命週単位】
 普通のだるさとは全然違う全身の倦怠感。むくみが目立ってくる。食欲不振が強くなる(ただし、余命が週単位以下の場合、どんなに栄養を取っても状態の改善は見込めず、延命効果もおそらくほとんどない)。歩くのが大変になる。しゃべりにくくなる。耳が聞こえづらくなる。ベッドの上での生活が中心になる。

【余命日単位】
 寝ている時間が増えてくる。時間や場所、人の感覚があやふやになる。床ずれが出現する。会話や応答の障害が現れる。(家族の心労も募ってくる時期でもある)

【余命時間単位】
 意識は低下し昏睡状態に移行する(2割程度、急変が起こる可能性あり)。

■患者さんの耳は最後まで聞こえている?
 最後に大津先生から、患者さんの看取りに際して注意してほしい点があるという。
「患者さんの聴覚は最後まで保たれていると言われています。ですから、お葬式の話などデリケートな話題は、部屋を移したほうがベターです。寝たきりで眠っているようにみえる患者さんでも、耳元で優しく語り掛けなどしていただければと思います。周囲の方の温かいお声がけが、死出への旅を安らかなものにするかもしれませんから」


【著者略歴】
大津秀一(おおつ・しゅういち)
 茨城県出身。岐阜大学医学部卒業。緩和医療医。日本緩和医療学会緩和医療専門医、総合内科専門医、がん治療認定医、日本老年医学会専門医、日本消化器病学会専門医、2006年度笹川医学医療研究財団ホスピス緩和ケアドクター養成コース修了。内科専門研修後、日本最年少のホスピス医(当時)として勤務したのち、在宅療養支援診療所勤務を経て、2010年6 月から東邦大学医療センター大森病院緩和ケアセンターに所属し、現在緩和ケアセンター長。著書多数。


『死ぬときに人はどうなる
 10の質問』
著者:大津秀一
価格:620円+税
出版社:光文社(知恵の森文庫)

http://amzn.asia/2Yrmk0x
 
小話 「イワシの頭も信心から・祟りの巻」
映画「陰陽師」などのロケ地となった「えさし藤原の里」

「イワシの頭も信心から・・・祟りの巻」 - 石川栄一
2018/06/11 14:19


 宮司の後目争いで話題になった富岡八幡宮事件。
 後目争いは、古今東西どこでも起こることですが、日本では古代から後目争いの為に暗殺や戦乱が起こりました。これらは、むかし学校で習ったことです。

 邪馬台国の時代からヤマト王権成立(倭国)。
 そして大化の改新を経て律令国家体制の日本国確立(朝廷成立)に至る古代では、葛城氏→物部氏→蘇我氏→中臣氏(藤原氏)は、それぞれ都合の良い後目(皇族)を担ぎ上げて、天皇に据えることで主導権を我が物としてきました。

 力のある豪族は、自分たちに都合の悪い者は、あの小池都知事の言の如く「排除」する。場合によっては天皇であっても「暗殺」する。
 あるいは永遠に葬るために軍勢を使って敵対する相手を滅ぼす。これらは日常茶番でした。

 武士の時代に入り、将軍家や守護大名の後目争いでも大きな戦乱となりました。有名なのは「応仁の乱」ですが、10年以上にわたって荒れ狂った内乱で、京の都が焼け野原になったそうです。その結果、守護大名の力が強くなり、戦国時代へと進んでいきます。

 現在の後目争いで、ニュースになるのは「ヤクザの世界」ですね。
 近年では「六代目山口組」から2015年8月末に分裂した「神戸山口組」、さらに神戸山口組から今年4月末に分裂した「任侠山口組」という3団体の対立関係が続いています。警察も大変でしょう。

 いっその事、構成員全員を逮捕したらどうでしょう。そして、イザという時には、国防隊「893部隊」を結成して、自衛隊の前衛部隊として外地に派遣するのです。
 血の気の多いヤクザも本望ではないでしょうか。御国のために戦って名誉の戦死を遂げた暁には、国民栄誉賞を贈呈すると、その家族も喜んでくれるでしょう。

 さて、話を本題に戻します。富岡八幡宮事件の犯人の元宮司の男は、家族間における出来事を詳細に記し、現在の宮司の女性を「永久に富岡八幡宮から追放する事」などと4項目を求め、「要求が実行されなかった時は」として、「私は死後においてもこの世(富岡八幡宮)に残り、”怨霊”となり、永遠に祟り続けます」などと書かれていたそうです。

 ここで、私が気になるのは、”怨霊”という言葉です。
 普通、怨霊というのは「怨み、憎しみをもった人の生霊」や「非業(ひごう)の死を遂げた人の霊」のことで、被害者でなければ、つじつまが合わないと思うのです。しかも、犯人の元宮司の男は、自殺したので、もう「生霊」を飛ばすことは出来ません。

 私が子供の頃から映画やテレビで見てきた(本当は怖くて真面に見られなかった)「四谷怪談のお岩の幽霊)」や「番町皿屋敷のお菊の亡霊」「牡丹灯籠の亡霊との恋愛」など、その大部分が、被害者の”怨霊”がテーマになっています。

 富岡八幡宮事件では、被害者である女性の”怨霊”が、加害者の元宮司の男に祟るのなら分かりやすいのですが、それがあべこべで、加害者である元宮司の男の”怨霊が、被害者である宮司の女性に祟るという誠に滑稽な話で、意味不明です。

 そもそも、宗教の世界は一般の世界とは違う世界なのかも知れません。
 わが国の宗教人口は、2億人とも3億人ともいわれていますが、実際、どの程度の人々が宗教団体に加入しているのでしょう。
 総人口よりも多いということは、一人が掛け持ちで加入していることになります。

 私は、どの宗教団体にも入っておりませんが、先祖代々禅宗(曹洞宗)で葬式を出しております。私の結婚式は神前でしたが、結婚披露宴は洋式であげております。しかし、父親の葬式は禅宗(曹洞宗)で出しました。私自身の葬式もおそらく禅宗でしょう。

 国民が神道のお世話になるのは、結婚式や住宅などの起工式や竣工式、七五三のお祝い、合格願い、選挙の願掛けでしょうか。
 あとは初詣やお祭りです。これらは冠婚葬祭という行事であり、全ての国民が国家神道の信徒というわけではないと思います。

 宗教団体が、お布施や檀家を集めるのは自然な行為であって、それをしなければ、宗派を維持できませんね。托鉢は修行の一環として、紀元前5世紀頃、インド北部(今の)ネパールのお釈迦様の時代から、おこなっていたようです。
 しかし、統一協会やかつてのオウム真理教のように、人の弱みにつけ込みながらお布施を集めるやり方は、批判されて当然です。

 ところで、統一協会は「産学協同フォーラム」などと公的な組織と紛らわしいな組織を作って、産官学界に進出を図っていたようです。
 そして現在、日本会議にも勢力を拡大し、政権の中枢を操るまでの勢力に拡大し、安倍政権を乗っ取ってしまいました。


■ 憲法改正を訴える日本会議の「危ない」正体
 「宗教右派の統一戦線」が目指すもの
 (AERA アエラ)
http://toyokeizai.net/articles/-/126794


 いずれにしましても、宗教団体は、様々な団体に形を変えて迫ってきますので、弱みにつけ込まれないように注意すべきと思います。
 これ以上、宗教の悪口を書くと祟られるので、今日はこれまでとしましょう。


「イワシの頭も信心から・・・祟りの巻」 - 石川栄一
2018/06/11 14:19


小話「魂と意識と転生の巻」
 人の魂(たましい)に数があるとしたら、無限であると思います。
 人間の身体にも、多数の細菌が生息しているので魂は無限にあると思います。しかし、地球から見れば、人間自体が細菌のようなものです。

 人間の意識は、どこから来るのかと聞かれますと、大抵の人は、脳からくると答えると思います。たとえ、目で見えなくても、脳で見ることができるのです。例えば夢です。

 しかし、人間が死んだ場合は、脳も死にますから、当然意識がなくなります。まして、火葬され遺骨になってしまうと、脳の存在そのものが、この地上から消えてしまいます。。

 ほとんどの宗教では、死後の世界を説きます。しかし私は、死後の世界というものは、元素化した魂の世界のみであると思っています。
 宗教を信じている方には誠に残念ですが、そこには、宗教がよく唱えるところの「天国や極楽浄土」などは、一切存在しません。

 死者の魂は、地上で浮遊しながら、新しい生命体の誕生を待ちつづけ、取り憑き「転生」する機会を伺っていると思うのです。
 それは、数年か、数十年か、あるいは数百年、数千年後かも知れません。
 しかし、たとえ転生するために、数千年の年月がかかったとしても、魂には時空というものは存在せず、年月の進行は、まったく感じないのです。
 例えば、あなたの「前世」は、むかし飼っていたペットや動物、あるいは、どこかの国の独裁者だったかも知れないということです。


小話「魂と意識と転生の巻」おわり
石川栄一 2018/01/27 19:04
東大病院救急部長が語る 「死後の世界」

東大病院救急部長が語る「死後の世界」~人間は必ず死ぬ。 しかし… 数多の最期を見てきた医師の結論

現代ビジネス 5/18(木) 配信  「週刊現代」2013年3月16日号より

 生きていれば、必ず死の瞬間はやってくる。だが、その先のことは誰にも分からない。死んだらそれで終わりなのか、それとも――。生と死が交錯する臨床の現場で、医師が体感した「命の神秘」。

最新医学でも説明できない
 私が勤務する東大病院では、年間3000人もの患者が集中治療室で治療を受けています。そこは生と死が隣り合わせの場所であり、私も臨床医として、日常的に多くの「死」に立ち会ってきました。

 現代医療には「エビデンス・ベースド・メディスン(EBM)」、つまり「証拠に基づく医療」という考え方がベースにあります。私たち医師もEBMを踏まえて患者さんの治療に当たるのですが、実は救急外来の現場では患者さんの疾患や障害の原因がどうしても解明できない、ということがしばしば起こります。
 現役の医師である私が言うのもおかしいかもしれませんが、これだけテクノロジーが発達した時代でも、医療の現場は最新の医学や科学をもってしても、まったく説明のつかない事象に満ちているといっても過言ではありません。
 こう語るのは東京大学医学部附属病院救急部・集中治療部部長で、東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授の矢作直樹医師(57歳)だ。
 矢作医師は'81年に金沢大学医学部卒業後、麻酔科、救急・集中治療、外科、内科、手術部などを経験し、'99年に東京大学工学部精密機械工学科教授、'01年から現職につく。

 最先端の医療現場で起きる不可解な現象を幾多も経験する中で「死」についての考察を重ね、独自の死生観を主題とした著作を発表し続けている。
 例えば、ある時50代の女性患者が呼吸困難を訴えて来院されました。軽い肺気腫があるだけで、近所の医者から「初期の肺炎」と診断されて入院されたのです。

 症状はごく軽いものと思われたのですが、入院直後から体調が劇的に悪化して髄膜炎を発症し、私たち担当医も為す術がないまま、わずか1日半後に息を引き取ってしまいました。これといった基礎疾患のない人が、どうしてこんなにあっけなく逝ってしまうのか。残念ながら現代の医学の観点からはまったくわかりませんでした。
 かと思えば、症状が重く、これはとても助からないと思われた患者が奇跡的に回復したりすることもあります。

 東大病院でも、年1~2回はそうした事例が起きています。心肺停止状態で脳機能に障害が出ているはずなのに、その後、ちゃんと回復し、脳のダメージもまったく残らなかったというケースもありました。どうしてそうなったのかは、誰にも説明できません。
 わからないことと言えば、「身体がこんなひどい状態なのに、なぜ生きていられたのか」と首をかしげざるを得ない遺体を、私は少なからず目にしてきました。それは、遺体を病理解剖する際、身体を開いてみて初めてわかることなのです。

 ほんの少し前まで命があったなんてとても信じられないほど、臓器をはじめ、どこもかしこもボロボロに傷んでいたりする。
 医学的に見て助かりそうな人が突然亡くなり、死にそうな人が奇跡的に回復し、肉体的には死んでいるはずなのに何日も生き続けている人がいる……。
 こうした事例を数多く見るにつけ、私は次第に、人間の生死には我々の理解を超えた「何か」が働いているのではないかと考えざるを得なくなったのです。

臨死体験をした人々
 その結果、私は「寿命が来れば肉体は朽ち果てるが、霊魂は生き続ける。その意味で、人は死なない」という考えに至りました。つまり、人間というのは肉体とエネルギー体、いわゆる「霊魂」に分かれているとしか思えなくなったのです。

 このことをふまえて考えれば、不可思議な遺体も理解ができます。本来ならとうに亡くなっていてもおかしくないような遺体と対面した時、私は「もうこの人は、肉体の中にいなかったのだ」と、理屈抜きに直感で感じることがありました。
 それはつまり、死を目前にして霊魂が肉体から離れつつあったということではないでしょうか。

 人が住まなくなった家はすぐに傷むと言います。それと同様に、人の肉体は魂を宿すための「器」であり「入れ物」だから、魂が抜けかけた体はどんどんボロボロになってしまうのだと理解したのです。
 一体、人の生死とは何なのでしょうか。

 私はこれまで入院中の患者から臨死体験(本人は臨死体験と認識していない場合もある)を告白されたことが何度かあります。また、臨死体験をした人の話を詳しく聞いたこともあります。それを聞いた時、まさに人には霊魂が存在するという私の考えの裏付けになるものだと確信しました。

 50代男性のAさんは、今から28年前、妹を乗せた車で事故を起こし、その直後に臨死体験をしました。ふと気がつくとAさんは妹と2人、大破した自分の車を空中から見下ろしていたといいます。

 すると隣にいた妹が突然、「お兄ちゃんは戻りなよ」と言い、その言葉を聞いた瞬間、Aさんは車の運転席に横たわったままの状態で目が覚めたそうです。「戻りなよ」と言った妹は即死状態でした。
 現場検証した警察官からAさんが聞いた現場状況は、臨死体験中に見た光景そのままだったそうです。

 また、私は知人の医師から興味深い話を聞いたことがあります。彼は担当する患者から夢で別れを告げられることがあるというのです。それも、一度や二度ではなく、数年の間に何度もそうした夢を見たという。

 こうした夢は正夢だったということが多く、その場合、患者が彼に別れを告げた時間と、病院で息を引き取った時間がほぼ一致していたそうです。別に彼に限ったことではなく、担当していた患者が夢枕に立ってお別れを言われたという経験をした医療関係者は、他にも何人もいます。
 これは一般的に「予知夢」と呼ばれるものですが、私はこうした現象は、霊魂が生きている人の意識と繋がることができる、という事実を示していると思います。
 つまり、人は亡くなると肉体という枷が外れ、霊魂は自由になり、他者の意識にも共鳴できるようになるのではないでしょうか。

死の間際、人は何を見るのか
 このような臨死体験については、「単なる脳内現象に過ぎない」と否定する向きもあるようですが、実は臨死体験の中には「臨死共有体験」というものが幾つも報告されています。

 ある方が亡くなりかけていて、ご家族が臨終を看取ろうと周りに集まっている。その時、患者が見ている「あの世からのお迎えの光景」を家族の人たちも同時に見てしまうというものです。これは、西洋では既に認知されている現象です。科学的検証こそできていませんが、患者本人ではない第三者までもが同じ体験をするのですから、「脳内現象」というよりは、意識(霊魂)の同調を起こしていると考えるのが自然です。

 人間には霊魂がある、と言うと理解できない人がいることは百も承知です。しかし、これは過去に多くの患者を看取ってきた私の偽らざる実感なのです。
 また、霊感が強い人は、死ぬ直前の人間の体から何かが抜け出していく、言い換えれば「見えない体」が肉体から出ていくのが分かるといいます。患者の臨終に何度も立ち会った私も、それは分かるような気がします。

 言葉ではなかなか説明しにくいのですが、いわば肉体から何かが「外れかけている」感覚があるのです。早い方だと、亡くなる3日ぐらい前から少しずつ外れていき、遅い患者さんでも臨終の直前に外れるそうです。私はそれを、いわゆるあの世からの「お迎え」が来たのだと捉えています。

 また、こうした「お迎え現象」の一つに、患者の顔の変化があります。死の数日前になると多くの末期患者の顔が、なぜかほころぶことがあります。2~3日前から亡くなる直前の間、患者は周囲のことにすっかり無関心になり、いよいよ最期の時を迎える瞬間、まるで別の世界にいるような感じで、顔がほころぶのです。

 よく観察すると、その表情は「えっ」と何かに軽く驚いているようにも見受けられます。残念ながら患者の全員が亡くなってしまうので、彼らがなぜ顔をほころばせ、何に対して驚いたのかは確認できません。でも、私にはあの世から来た「お迎え」に患者たちが反応しているように思えてならないのです。

 私の考えをバカバカしいと全否定する人もいるでしょう。しかし、現在、我々人間が解明できている「世界」はごく一部でしかありません。
 この世界には我々の理解を超えた現象はいくらでもある。言ってみれば、人間は巨大なゾウの体の上を這い回っているアリに過ぎません。アリがいくらゾウの体を探検したり、研究をしたところで、結局、それはミクロな発見でしかありません。マクロなゾウの全体像は、アリの能力では決してつかみきれない。それと同じことなんです。

 では、「死」によって肉体から解き放たれた霊魂はどこへ行くのでしょうか。私は、霊魂が向かう先は我々とは別の次元の意識世界、いわゆる「あの世」であると考えています。
 死後の世界として、古来から天国や地獄などの概念がありますが、私が考えるところ、「あの世」は決して悪いところではなさそうです。

 なぜなら、臨死体験をして死後の世界を垣間見てきた人は、その後死を恐れなくなるようなのです。臨死状態に陥った人は、その間、安らぎや解放感を覚えたり、強烈な光を感じたりするようですが、いずれも不快な現象ではありません。そのため、「死は、ただただ恐ろしいものではないのかも」という安心感が芽生えるのです。

 しかも、「あの世」に行った霊魂は「現世」と完全に断絶してしまうわけでもありません。
 これは私事になりますが、私はかつて亡くなった母の霊と会話する貴重な体験をしています。私の母は'07年、独居先のアパートで亡くなったのですが、その2年後、強い霊能力を持つ知人女性のBさんから「お母様があなたと話したがっている」という連絡をもらい、迷った末にBさんを霊媒として、母と交信を試みたのです。

 結果からいうと、母との交信は圧倒的な体験でした。様々な会話を交わしながら、私は確かに目の前に母がいるのだと感じざるを得ませんでした。以来、私はあの世は決して遠い場所ではないのだと感じるようになりました。

魂は永遠に生き続ける
 では「現世」と「死後の世界」はどのような関係にあるのでしょうか。
 私なりの考えでいうと、我々の生きている世界はいわば競技場のようなものです。私たちはこの競技場の中で、人生という苦しい競技に参加し、お互い競い合っているわけです。

 その中で、「あの世」はいわば競技場の観客席です。観客席と競技場の間にはマジックミラーがあって、こちらから向こうは見えないが、向こうから私たちの様子を見ることはできる。やがて競技が終わると、つまり肉体的に死ぬと、私たちは霊魂となって観客席へと移るのです。そして、もう少し競技をしたいと思う人は、競技場の中に戻るように、再びこの世に生まれ変わることができるのだと考えています。

 間もなく、東日本大震災から2年が経ちます。私は、日本人の死生観は3・11を境に大きく変わったと感じています。災害が起こる前まで、私たちは「人は必ず死ぬ」という真理を忘れていました。

 しかし、3・11以降、多くの日本人が、それまで縁遠かった「死」を、明日にでも自分を襲うかもしれない身近なものとして意識するようになりました。しかし、死を身近に感じることは、とりもなおさず生を身近に感じることでもあります。だからこそ、私は日本人は肉体だけでなく、魂についてもう一度思いを馳せてほしいと思うのです。

 「人は必ず死ぬ」という死生観は、言い換えるなら、人は一回きりの人生しか生きられないということです。でも、それではあまりに自分の人生は理不尽だと思う人はたくさんいるのではないでしょうか。

 そこで、「人には霊魂がある」という考え方を受け入れたらどうでしょう。「人は必ず死ぬのは確かだけれど、人間にとって死は終わりではなく、魂は永遠に生き続ける」……。
 この考え方は、現代人にとって大きな救いとなるのではないでしょうか。
 また、「魂は死なない」というイメージがインプットされれば、この世では自分は理不尽な人生を送っていたけれど、悠久の生の中でみれば、そうした理不尽さという意識を解消することもできるだろう、という視点に立つことができます。そうすれば、死を無意味に恐れることもなくなることでしょう。
 繰り返しますが、私は長いこと救急医療の現場にいて、様々な死を目の当たりにし、嘆き悲しむご遺族の姿を見てきました。

 しかし、死後も霊魂は消滅しないという考え方に立てば、亡くなった人はなんらかの自分の役割を終え、あの世で幸せに暮らしており、中には次の転生に備えている人もいることになる。この考え方に立ったほうが、遺族を含め、多くの人がより幸せになるのではないでしょうか。

 日本人は古来より、霊的感覚に鋭敏な民族と言われてきました。このような時代だからこそ、私たちは魂の大切さについて理解を深めるべきだと思います。そうなってこそ、我々は本当の意味で、心の豊かさを掴むことができるのではないでしょうか。

『出典』現代ビジネス 5/18(木) 14:01配信
「週刊現代」2013年3月16日号より


『宗教論』 死後の世界は現在である

はじめに 戒名について

 宗教がなければ、葬式も結婚式も出来ないご時世ですが、新興宗教に限らず、日本の宗教団体は、人を救う団体ではないと思っています。
 宗教法人にも課税して、消費税を廃止したほうが、世の中のためになると思います。
 また、宗教法人は非営利団体であり、慈善事業扱いですが、お布施が数千円から数万円。戒名は数十万円から100万円以上のものもあり、これでは非営利とはいえないでしょう。
 統一教会の霊感商法(相手を不安に陥れて金銭を要求する)の壷が300万円ならマスコミが騒ぎますが、戒名100万円でも問題にしないでしょう。マスコミは宗教法人に、マインドコントロールされているのかも知れません。


さて、そもそも戒名とは何か
 戒名(かいみょう)は、仏教において、仏門に入った証し、戒律を守るしるしとして与えられる名前。
 上座部仏教と大乗仏教の両方で行われており、多くの場合、出家修道者に対して授戒の師僧によって与えられる。上座部では出家後に南伝仏典に残る阿羅漢に変名するため、その意味で法名と呼ぶ。
 またそこから転じて、死後に浄土で出家して最終的には仏となる浄土思想にもとづき、死者に戒名を与える風習が生れた。
 死後の戒名は、特に日本において盛んに行われている。
 (出典)お寺ネット戒名研究室

 このように、戒名とは、仏教において「仏門に入った証し」「戒律を守るしるし」とされています。
 私のように、仏門にも入らず、戒律を守らず、「輪廻転生(生まれ変わり)」を信じている人間にとって、戒名は必要なしです。


生について

 自宅の庭先で飛び回っている蝶やトンボ、バッタなどの小さな虫でも、人間の生まれ変わりかも知れません。捕まえようとすると直ぐに逃げてしまいます。数日の寿命しかない小さな虫でも、生きていることを楽しんでいます。
 あらゆる生物は、ジャングルの掟(弱肉強食)の下で生き抜いています。生まれたばかりの1ミリにも満たない小さなクモでも、生きるために巣を張って獲物を捕らえながら、一生懸命生きています。


宗教について

 人間以外の生物の世界には宗教はありません。
 人間の世界にのみ宗教があるのは、””という「恐怖心」があるからでしょう。その”恐怖心を煽り”、ビジネスにしているのが宗教法人です。
 多くの人たちが、「輪廻転生(生まれ変わり)」を信じることにより、神や仏、そして宗教は、自然に消え去ることになります。

 そもそも、死ぬと火葬され、ガイコツになる人間が、天国に行けるわけがありません。もし行くことが出来たら、天国がガイコツだらけになってしまい、地獄と化すでしょう。
 「霊魂」にしても、地球の引力圏から脱出することは出来ません。
 従って、人間はもちろん、全ての生物には「輪廻転生(生まれ変わり)」しかないのです。

春になったら、庭を眺めて見ましょう。
生まれたばかりの小鳥がさえずり、小さな虫たちが生を楽しんでいます。
それらの生物も、生まれる前は、人間だったかも知れません。
つまり、死後の世界は現在の世界なのです。


戒名を授かりたい方のための資料

2016年1月26日 石川 栄一

明朗お布施、仏教界に波紋 進む寺離れ、重い課題
NIKKEI STYLE 8月17日(水)11時0分配信

境内にお布施の金額を明示する寺院も現れている
(埼玉県熊谷市の曹洞宗見性院)

 葬儀などで僧侶に払うお布施の金額を明確にする動きが広がっている。仏教界は「宗教のビジネス化」と反発するが、薄れつつある社会との関係の再構築も迫られている。

 「なんでも商売にしてもうけるのは安易な世俗主義だ。節度がなさ過ぎる」。全日本仏教会(全日仏)理事長を務める浄土真宗・本願寺派の石上智康総長は、こう憤る。

 問題の発端は昨年12月、インターネット通販のアマゾンジャパン(東京・目黒)が「お坊さん便」の取り扱いを始めたことだ。法事や法要に僧侶を定額3万5000円で紹介する。お布施は宗教行為というのが仏教界の立場で、僧侶の側からは「お気持ちで結構」などと金額を明確には示さないのが一般的だ。全日仏は3月にアマゾンに取り扱い中止を求めた。

 アマゾンは「コメントは控えたい」としているが今も出品は続く。お坊さん便の運営会社、みんれび(東京・新宿)によるとサービス自体は2013年から始め、問い合わせ件数は年々増加している。利用者からは「料金体系が明確で信頼できる」との声が寄せられているという。


「檀家」36%止まり

 利用が広がる背景には、菩提寺と檀家の関係が薄れていることがある。寺院経営サイト運営のオックスブラッド(東京・港)が15年に40~80歳代の男女500人に実施したネット調査で、自身が「檀家である」と答えた人は36%どまりだった。都市への人口移動も影響しているとみられるが「寄付金が頻繁」などと菩提寺への不満も目立った。

 お坊さん便を通じて法要を請け負う僧侶に話を聞いてみた。都内に住む渡辺海智さん(40)は福島県にある実家の寺を兄が継ぎ、自分の寺はない。約1年前にお坊さん便に登録した。「お寺と付き合いたくはないがお経くらいは上げてほしいという人は多い。お経を上げれば感謝され、役に立っている実感はある」と話す。料金の定額表示にも「いくら出せば良いのか分からなければ利用者は不安になるだろう」と理解を示す。

 みんれびの秋田将志副社長は「葬儀にお坊さんを呼べず困っている人がいて、お坊さんも檀家の減少などで困っている。われわれは両者をつないでいるだけ」と一歩も引かない構えだ。一連の対立はメディアでも報じられ反響を呼んだ。全日仏には「高額なお布施を請求された」「お布施が少ないから戒名を付けられないと言われた」と不透明さを批判する声も寄せられた。

 僧侶の紹介サービスを巡る仏教界と企業のいざこざは今回が初めてではない。おぼうさんどっとこむ(東京都稲城市)は04年、価格を明示し僧侶を紹介する事業を始めた。林数馬代表は寺の出身で僧侶の資格を持つ。友人が父親の葬儀で法外なお布施を要求された話を聞き「このままでは日本の仏教がすたれる」と実家を継がずに起業した。すでに会員は約3万人に達する。

 イオンは09年に葬儀事業に参入し、10年からは料金表を示して僧侶を紹介するサービスも始めた。14年に分社化してイオンライフ(千葉市)が発足し、会員数は12万人を超える。広原章隆社長は「自分の父親の葬儀で価格の不明瞭さに違和感を持った。きちんと契約書を交わす一般のビジネスにしたかった」と話す。

 全日仏はこうしたサービスが登場するたび抗議を繰り返してきた。ただ、利用者の広がりを抑えきれていないのが実情だ。

 全日仏も、風当たりの強さは自覚している。石上理事長は「寺院の側にも仏教の精神をないがしろにする行為がある。平素の僧侶や寺の宗教活動が十分ではなく、一般の方々との信頼関係も薄れている」と認める。9月上旬をメドに外部有識者も交えた協議会を立ち上げ、内部改革に向けた議論を始める予定だ。


変革の動きも
明朗お布施、仏教界に波紋 進む寺離れ、重い課題
葬儀の平均費用が減る一方、相談件数は増えている

 寺院にも変革の動きはある。曹洞宗見性院(埼玉県熊谷市)は10年ごろお布施の定額化に踏み切り、金額を境内に掲示する。住職の橋本英樹さんは「仏教界は金額を分かりにくくすることで高額なお布施を受け取ってきた。透明化が必要だ」と話す。

 日本消費者協会によると、日本人が葬儀にかける平均費用は13年時点で188万9000円とピーク時(03年)から2割減った。葬儀業界の競争激化に加え、核家族化で簡素な葬儀が広がったことも影響しているとみられる。

 国民生活センターに寄せられた葬儀サービス関連の相談は15年度に763件と、過去10年で2.4倍になった。同センターは「介護費用の負担増などで経済的な余裕がなくなり、消費者の視線がシビアになっているのではないか」とみる。お布施の定額サービスが支持を広げている理由の一つかもしれない。

 第一生命経済研究所の小谷みどり主席研究員は「人々が檀家であることにメリットを感じられなくなっている。僧侶が命や死の問題でプロとなり、日ごろから頼りにされる存在にならなければ寺離れは止まらない」と指摘する。仏教界は重い課題を突きつけられている。

◇  ◇  ◇  
 お布施を定額で示して僧侶を紹介するサービスが広がっている現状をどう考えれば良いのか。定額表示に反対する全日本仏教会の石上智康理事長と、仏教や葬儀の問題に詳しい第一生命経済研究所の小谷みどり主席研究員に話を聞いた。


■全日本仏教会の石上智康理事長の話

 お布施とは僧侶の宗教行為への対価ではない。布施は自分の物を人様に提供することで執着心をなくして悟りに近づいていく仏教の重要な修行の一つだ。「これだけのことをしてあげたのだ」という具合に「与える行為」にとらわれの心があってはならない。そして一般の人がお布施をすることで僧侶の生活を支え、宗教活動が営まれていく。このような宗教行為を定額の商品として販売することに大いに疑問を感じる。私自身は事情がある人にはお布施なしで葬儀をすることもある。決してこちらから要求するような性質のものではない。

 「お坊さん便」のようなサービスが出てきたことには複雑な社会的背景がある。寺側の要因として法外なお布施を請求するなど、仏教の精神をないがしろにするような行為があったのは事実だろう。地方の過疎化で寺の経営が苦しくなっているという事情もある。平素の寺や僧侶の宗教活動が十分ではなく、地域や一般の人々との信頼関係も薄れている。

 一般の人々もお布施をいくら包んだら良いのか分からないという悩みを抱えている。檀家として寺の行事への参加や寄付などを求められることを好まない人々も増えてきた。しかし「親の法事くらいはしないとまずい」という純粋な宗教感情は脈々として残っているので、こうした人々が僧侶紹介サービスを利用しているのだろう。

 ただ大局的に考えれば、なんでも商売になる物なら商品化してもうけてやろうという時代相がある。安易な世俗主義で、日本の現代社会の弱点の一つだ。商行為に対して節度がなさすぎる。いずれ国全体にツケが回ってくる。日本国民は自覚しなければならない。

 その素地をつくったわれわれも厳しく反省する必要がある。アマゾンとの一件を巡っては全日本仏教会にも「葬儀で高額なお布施を要求された」「お布施が少ないから戒名を付けることができないと言われた」などの批判が来ている。全日本仏教会ではアマゾン問題への対応を考えるために加盟団体の代表者10人と学識経験者5人で構成する協議会をつくり、9月上旬から議論を始める予定だ。情報共有や原因究明を進め、各宗派の実践事例も持ち寄って報告してもらう。たとえば私が総長を務める浄土真宗・本願寺派では教えを伝える法話のスキルや儀礼を向上させるための研修制度の見直しなどに取り組んでいる。

 今回の件では「菩提寺との信頼関係を築いているからアマゾンは利用しない」という声も寄せられた。これが本来の姿だ。寺や僧侶が本来の活動をするようになればアマゾンなどが入り込んでくる余地はなくなる。寺や僧侶の活動を本来の姿にしていくことが、この問題を解決するための本筋だろう。



第一生命経済研究所の小谷みどり主席研究員の話

 現在、首都圏では死んでいく人たちの7~8割程度は菩提寺を持たないといわれる。高度成長期に地方から出てきた次男、3男が多いからだ。こうした人たちが多く亡くなるようになった20年くらい前から葬儀会社が僧侶を紹介するようになり、僧侶紹介業というビジネスが生まれた。「お坊さん便」はアマゾンに載ったことで注目を集めたが、ビジネス自体は20年来存在していたものだ。

 全日本仏教会はアマゾンに抗議をしているが、アマゾンが運営しているサービスではないので筋違いだ。怒るポイントもずれている。にせ物の僧侶を紹介しているなら怒ってもよいが、実際に紹介しているのは本物の僧侶。彼らは檀家の減少で仕事がなくなり困っている。紹介業は需要と供給をマッチングしているだけだ。

 お布施はサービスの対価ではないから金額を明示してはいけないという主張もおかしい。それなら車の交通安全の祈祷(きとう)などで金額を明示していることをどう説明するのか。お布施はお寺の重要な収入源。20万円などと価格を明示されることで相場になってしまえば、お寺は100万円もらえたかもしれないのに20万円しかもらえなくなってしまう。アマゾンや他の僧侶紹介業を経由した収入は課税対象であるため、お布施が非課税であることと整合性がなくなり、課税論議につながる可能性があるのも嫌なのだろう。

 現在は菩提寺と「縁を切りたい」と考える人々も増えている。人々は檀家であることにメリットを感じられず、金銭的負担を求められる「負の遺産」ととらえるようになった。それが「墓の引っ越し」などの形で現れている。

 宗教法人が宗教活動で得た収入が非課税になっているのは、教えを広めたり人の生死の問題で安心感を与えたりすることへの公益性が認められているからだ。しかし現状はただ葬式に行ってお経をあげるだけ。遺族や参列者が「教えを得た」という実感も得られず、葬式仏教にすらなっていない。まして生きている間は困ったときに占いに頼ろうとする人はいても、僧侶に頼ろうとは誰も思わない。

 人々が宗教に頼ろうとするのは貧困や病気、争いなどの問題を抱えて苦しいときだ。お寺は自らのネットワークも活用しつつ、困っている人に解決策を与えられるようにならなければならない。たとえばがんで余命宣告を受けた患者の家族のやり場のない悲しみを発散できる場所を寺院が提供すればよいだろう。僧侶が命や死の問題に関するプロにならなければならない。寺の檀家になることは経済学的に考えればスポーツクラブの会員になることと同じ。メリットを享受できると感じるなら、会員は増えていくはずだ。


【出典】(本田幸久) NIKKEI STYLE 8月17日(水)11時0分配信
遺体ホテル、献体 加速する「多死社会」の現実

「ご葬儀まで、1週間以上お待たせすることになります」
 東京都内の斎場職員はそう話す。
 いま、葬儀が希望の時間にできないために、何日も待たされる“葬儀難民”が増えている。都内の葬儀会社アーバンフューネスによれば、昼の時間帯に告別式・火葬を望む場合、斎場が1週間以上先まで埋まっていてすぐに葬式が出せないケースが増えているという。
 厚生労働省によると、現在、1年間の死亡者数は約130万人。団塊の世代が80歳代を迎える2030年には160万人に達するとされる。世界に先駆けて超高齢社会に突入した日本は、未体験の“多死社会”へと向かっている。
(Yahoo!ニュース編集部)
イメージ:アフロ

火葬場不足が生む“葬儀難民”

 東京では、火葬場や斎場がかつてないほど混み合っている。東京都福祉保健局によると、都内の年間死亡者数は約11万人。毎日平均300人以上が亡くなっている計算だが、都内の火葬場は26カ所(うち8カ所は島しょ部)。
 保冷庫はつねに遺体で満杯だ。葬儀会社グランドセレモニー代表の佐藤隆博さんによれば、高齢者の体力が低下する冬場、とくに年末年始を挟んだ12月、1月の混雑が著しいという。
 八王子市斎場の受付職員は「繁忙期はご遺族のご希望の時間帯に添えないことも多く、なかには火葬まで7日もお待たせするケースもあります」と話す。

イメージ:アフロ
 火葬場不足の背景には、新たな火葬場建設が難しいという事情がある。火葬場建設計画が持ち上がっても、土地のイメージが悪くなるとして地元住民が反対するケースが多い。
 人口59万人を抱える埼玉県川口市には公営の火葬場がない。火葬場建設をめぐる住民の反対運動が根強かったためだ。結局、自然公園と高速道路のパーキングエリアに火葬場が併設されるという異例の決定がなされ、現在建設工事が進められている(2018年稼働予定)。
 宮城県岩沼市は火葬場の老朽化を踏まえて移転先の候補地を公募した。2013年、応募があった市内4か所から候補地を選んだが、住民の一部が反発。訴訟にまで発展し、新火葬場計画は白紙となった。その後、新たな候補地を選定し、2016年度の予算に火葬場建設費が盛り込まれた。

イメージ:アフロ

「早朝」「友引」もフル稼働する火葬場

 火葬場が増設しにくい状況のなかで、各自治体が講じているのが「受け入れ時間の延長」だ。東京都の南多摩斎場は午前中の火葬を引き受けることで1日の火葬数を17件から27件まで増やした。
 八王子市斎場では年末年始や一般的には葬儀が避けられる「友引」の火葬を引き受けることに。
 大阪市では、現在10時から4時までとしている火葬を前後に数時間ずつ延ばすことが検討されている。さらに現在は火葬後、炉の前でお骨を拾うのが一般的だが、別の場所に移してお骨を拾うことで、炉の回転率を向上させるという。
イメージ:アフロ

多死社会の新ビジネス「遺体ホテル」

 混み合う火葬場の順番待ちをしている間、遺体はどこに安置しておけばいいのか? 遺族にとっては切実な問題だ。このニーズに目をつけた新しいビジネスが「遺体ホテル」。すでに首都圏、大阪などに出現している。
 大阪北区の「ホテル・リレーション」は、2012年に開業。築30年のホテルをリニューアルした。代表の栗栖喜寛さんは、これからやってくる多死社会を見据えてこの業界に参入したという。「今後、葬儀難民が増えるだろう。経済的にも負担が少ない見送り方を提案したいと思った」と開業の動機を語る。

「ご安置ホテル・リレーション」
「ご安置ホテル・リレーション」
 このホテルの役割は遺体を安置するだけではない。遺族が宿泊することもでき、施設内で通夜や告別式を営むことも可能だ。特徴はその料金体系にある。日本消費者協会によると、葬儀費用は平均約200万円。だが、この遺体ホテルでは遺体の搬送、安置、通夜、告別式、火葬までを組み込んだプランが45万円程度で用意されている。通夜や告別式を省略することもでき、最小限の“見送り”をする場合、料金は20万円を下回る。

「家族ごとに見送りのスタイルは変わっていくだろうが、遺族と故人が最後の時を過ごすにふさわしい場所でありたいと思う」と栗栖さんは言う。
 大阪市でクリーニング店を営む女性(75)は、昨年このホテルで義姉を見送った。「本人が生前、みんなに負担をかけたくないから遺体ホテルで小ぢんまりと見送ってほしいと言っていたんです」。故人の遺言に従って、迷わずに利用を決めた。
 50代男性は、大阪に住む父親が急死した際、ネット検索で遺体ホテルを見つけたという。自身は東京暮らしが長く大阪の葬儀場には不案内だった。とりあえず葬儀場が見つかるまでの急場しのぎにと数日間の遺体安置を依頼したが、このホテルで通夜、告別式ができると知り、そのままここで見送った。

 「形式的なことにお金をかけたくないという考え方が広がっている」と高齢者心理に詳しい近藤勉氏(神戸医療福祉大学・元教授)は指摘する。価値観が多様化し、大掛かりな葬儀や立派なお墓が必ずしも必要ではないと考える人が増えているという。


増える「献体登録者」

 多死社会を前に、自分の遺体を大学医学部の解剖実習のために提供する「献体」の登録者数が増えている。篤志解剖全国連合会によると、現在の登録者数は26万人を超え、30年前の4倍になった。1985年当時、解剖実習に使われていた遺体はその半数が警察から提供される身元不明遺体だったが、現在はほぼ100%が献体だという。


 献体希望者は生前、医科や歯科大学に登録しておく。その際、2人以上の肉親の同意が必要となる。登録者が死亡すると遺体は大学へ運ばれ、防腐処理に3?6か月、解剖学実習に3?7か月が費やされる。すべてが終わると火葬され、遺骨は遺族へと返還されるというのが一般的な流れ。遺体運搬や火葬の費用は大学側の負担で、遺骨を大学の納骨堂に納めることも可能だ。


「誰にも迷惑をかけたくない」

「死んだ後、いくら体を切り刻まれても怖くなんかない」
 敷村サガノさん(85)が献体を希望したのは60歳代後半の頃。結婚はせず定年まで仕事を続け、退職後も一人で暮らしてきた。そんな敷村さんが歳をとるにつれて悩み始めたのが墓の問題だった。
 子どもがいないため、自分ひとりの墓を建ててもいずれは無縁墓になってしまう。墓が荒れれば他人に迷惑がかかる。「とにかく人様に迷惑をかけたくない」が口癖の敷村さんにとって、献体は魅力的な選択肢だった。献体を選んだことで、どのような気持ちの変化があったのだろうか。

 献体には「火葬費を負担しなくて済む」「墓を残さなくて済む」という経済的なメリットもあるが、近藤氏によると、それだけが希望者増加の理由ではないという。敷村さんの例のように、背景には独居老人の増加があると指摘する。
 「ひとりきりで過ごす時間が多くなると、高齢者はおのずと自分の死に向き合い、考える。そのなかで社会に貢献できる最後のチャンスとして献体に意識が傾く人が増えているのではないか」
 今後、日本は国際的にも類をみない「多死社会」に直面する。連載「『多死社会』の波」では、多死の時代に変わりゆく現状や課題をレポートする。


【出典】[全資料] Yahoo!ニュース編集部、テレビマンユニオン
    4月12日(火)15時21分配信
謎が解明? “お坊さん便”でわかった 仏教界の「格差地獄」

謎が解明? “お坊さん便”でわかった仏教界の「格差地獄」
日刊ゲンダイ 3月20日(日)9時26分配信

 法要を営む際に、「アマゾン」で申し込むと僧侶を派遣してくれる「みんれび」のサービス「お坊さん便」(3万5000円~)。

 全日本仏教会が「アマゾン」に対しサービス停止を要求して騒ぎになっているが、賛否両論飛び交う中で浮かび上がってきたのが、僧侶を取り巻く格差。袈裟の下に隠された世界は、悟りと無縁のサラリーマンにとって驚くことばかりで――。
 「仏教会」がアマゾンに中止を求めた理由は、「僧侶の宗教行為を定額の商品として販売することに大いなる疑問を感じる」というものだ。

 「仏教界には、お布施は“お気持ち”なので、定額で示すものではないという建前があります。“定額”として明示されると、法要儀式の商品化につながり、その料金を払えない人は法要を行えなくなる、という理屈なのです」

 こう説明するのは、「お坊さん便」に派遣僧侶として登録している近畿地方のある住職。しかし実際には、葬儀や法要布施の額を寺側が示して要求するケースも少なくない。戒名も、ランクに応じて布施の額が変わるとされる。

 「お坊さん便に反発している僧侶の多くは、外車を乗り回し、ゴルフ三昧の、いわゆる“宗教貴族”。ごく一握りのエリートたちです。1回の法要で10万円、20万円という金額をふっかける彼らにしてみれば、お坊さん便の“3万5000円”のような安い金額を提示してくれるな、という感情もあるのです」(前出の住職)


■収入が生活保護世帯並みの僧侶も

 これが本当なら、「払える分だけで結構なのに……」と反発しているわけではない。「もっと払ってもらわないと困る」とクレームをつけている格好になる。
 地域差はあるが、田舎の寺院では、法要1回あたり1万~2万円程度が相場。都会から引っ越してきた新しい信徒にこれを伝えると、「そんなに安いんですか!」と驚かれるという。その一方で、高額のお布施で潤う特権階級がいるのだから驚きである。
 地方ではお布施の相場が安い上に、人口減少で信徒も減って、どの寺も経営は苦しいという。

 「後継者がいなくなった寺を引き受けて、5つの寺の住職を掛け持ちし、お堂の手入れや檀家回りに奔走している僧侶もいます。ところが、信徒の少ない寺ではいくら頑張っても収入にならない。過労死寸前なのに収入は生活保護世帯並みという僧侶もいます」(東北地方のある住職)

 そんな僧侶たちをさらに追い詰めているのが、宗派に納める上納金だ。
 「檀家数や寺格などで金額が決まりますが、たとえば、うちなら檀家が約40軒で上納金は年間50万円です。赤字の寺でも上納金は払わなければならず、宗派が貧乏な寺に金銭支援をすることは一切ありません。宗派に相談しても、宗教貴族がベンツで乗りつけて“う~ん、どうにもならないね”などと言って帰っていくだけです」(前出の近畿地方の住職)

 格差というより、もはや搾取構造だ。
「お坊さん便は、貧乏なお寺の僧侶の収入になるだけではなく、お寺と縁がなかった方に、きちんと法要を営み、教えを伝える機会になります。私の場合、同じ方から法要の依頼が来るようにもなりました。これも仏法を伝える一つの形ではないでしょうか」(同)
 地方の僧侶にとって「お坊さん便」は、まさに“地獄に仏”なのだ。

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高すぎる葬式費用の原因は 葬儀社が意図的に操作していた

高すぎる葬式費用の原因は葬儀社が意図的に操作していた。
 近年、国民生活センターのよれば葬儀サービスによるトラブルが増えているといいます。そのほとんどがお金に関するトラブル。「価格の十分な説明がない」「高額な料金を請求された」といったものが大半。ではなぜこのようなトラブルが起きるのか、問題点を調べてみました。


日本の葬儀は非常に高い

 葬儀一式の全国平均は約200万円です。 これは高いと思いますか?
非常に高い値段だと思います。
例えば、世界を例にとるとアメリカは平均44万円。イギリスは12万円。韓国はあれだけ先祖を大切にするお国柄にもかかわらず、平均37万と、日本とは大きな開きがあります。

なぜこれほどまでに高くなってしまったのか。その原因の一つは利益率の高さがあげられます。
利益率とは原価と売値の差額の事で、安くても50%。ひどい場合には70%~90%などという話も聞きます。
もちろん、すべての葬儀社がこのような商売行っているわけではないでしょう。しかしぼったくりと思われる葬儀社も確かに存在しています。


お金にまつわるトラブル

 葬儀において、最も多いトラブルはお金にまつわる事。 その中でも特徴的な2件を例に挙げてみます。

■ 例1.「葬儀一式」では葬儀は行えない
 チラシなどで「葬儀一式○○万円」と記載されているのを見たことはありませんか?
 ある例では、このように書かれていた葬儀社に確認を取り、その値段で間違いないと言われていたにもかかわらず、最終的にはその3倍の金額を支払ったという事例があります。
 なぜこのような事が起こったのでしょう。
原因は、「葬儀社と消費者の認識のずれ」にあります。
 我々、消費者が葬儀一式と聞けば、お葬式から納骨までの一切と考えてしまいます。しかし葬儀社の葬儀一式とは「葬儀社が直接用意するものに掛かる費用」と考えられています。
 その為、飲食接待費や車両費といった各業者に委託している分の実費費用。お寺などに支払うお布施は別会計となり、最後にまとめて請求され、その時に初めて発覚するというトラブルが後を絶ちません。
つまり葬儀社での総葬儀費は「葬儀一式+実費費用+お布施」となります。
 葬儀社のいう「葬儀一式費用は、総葬儀費ではない」という事を覚えておくだけで、多くのトラブルを回避できると思います。

 なお、東京、神奈川、埼玉の葬儀費用の平均を載せておきます。
宗派や葬儀の内容により価格は変わってきますので、参考程度にご覧ください 。しかし、気を付けていただきたいのは、この平均は葬儀社が長年かけて作り出したものだという事です。

総葬儀費用:256.3万円
内訳 葬儀一式 122.4万円
実費費用 21万円
お布施 34.1万円
葬儀費用の合計は、「個別の費用はわからない」などのケースを含むため、葬儀一式費用・寺院費用、飲食接待費用の各費用の合計とは一致しません。

■ 例2.病院に常駐している指定葬儀社だからと信用してはいけない。
 事故や病気にかかわらず、亡くなられた方の多くは、最後を病院で迎えられます。その時に、どこからともなく現れる葬儀社。これが病院の指定葬儀社です。
 あるご家族は、この病院の指定という言葉を信用し、葬儀を任せる事にしました。
 見積もりを確認すると総葬儀費用180万円。しかし後に同じ様な内容の葬儀を100万円で行うことができたと知りました。
すでに日取りも決まり、参列者へ告知した後だったため、泣き寝入りのような感じで指定の葬儀社へお願いすることにしました。

この場合の問題点は、どこにあったのでしょうか?
 それは「病院指定という言葉を信用し、安易に任せてしまった」ことにあります。病院指定と言われても、すべてを任せる必要はありません。

 突然の事で準備ができていないのなら、指定葬儀社に搬送まではお任せします。それでも費用は確認した方がいいでしょう。 だいたいで日中10キロ以内は3万円程度に収まるはずです。
 ご遺体の安置が終わったら、見積もりをもらい、ほかの葬儀社と比較し納得のいく場所を選びましょう。ドライアイスの処理がきっちり行われていれば、それだけの余裕は十分にあります。


葬儀社と我々の認識のズレが費用が高くなる原因だった

 突然の訃報の場合、細かいところまで頭を回す余裕はありません。
 その為、葬儀社の言いなりになってしまうケースが良く見え受けられます。しかし上記の「葬儀一式」のように、葬儀社が常識を考えている事は我々にとって未知のものである場合が多くあります。
 悪質な葬儀社は、このズレを利用し高い利益率を持って値段を釣り上げている場合があります。


納得のいく葬儀の為に何をするべきか

 まずは複数の葬儀社から総葬儀費の見積もりを取り、比較検討しましょう。もし「実費費用はその時にならないとわからない」という葬儀社は信用できません。
 相手は葬儀のプロです。お葬式の規模から推測は出来るでしょう。
そして「葬儀社の言いなりにならず要求ははっきりと伝えましょう」。
葬儀社の考える「質素」は我々の「豪華」と同じだと考えてください。
あいまいな表現は、それこそ認識のズレを利用されてしまいます。


葬儀費用の節約は恥ではない

 葬儀社はこうした、葬儀社の常識に乗っ取って葬儀を進めていきますが、そこには我々の常識とは大きなズレが生じている事が良くあり、それがトラブルの元となっています。
 ご遺体の前でお金の事を、とやかくいう事に抵抗を感じる人は少なくありません。しかし葬儀に掛かる費用は決して少なくありません。
 また葬儀の本質は亡くなられた方を気持ちよく送り、残された遺族の気持ちに整理をつける事にあります。
後々まで不満を抱える事の無いような葬儀を送れる事を願っています。


著者:渡辺芳樹

企画やWEBサイト製作までも手掛ける、ライターもどき
学生時代からライターとして活動。小さな会社に就職したおかげで、ライター以外に、編集からWEBサイト製作など、幅広く経験。現在はフリーランスとなり、いくつかの会社と契約を結んで執筆活動してます。


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世界の葬儀費用

世界の葬儀費用

イギリス12万円 アメリカ44万円、ドイツ19万円、韓国37万円、日本239万円 日本239万円の内、葬儀社への支払いが151万円
坊さんへの支払いが49万円 、飲食接待料39万円


イギリスやアメリカの葬儀の例

 イギリスは葬儀自体にかかる費用が4万円程度、棺も4万円程度でその他教会への費用が1万円強、ここまででも十分に安いのですが、火葬場の費用が最高で4万円、最低では1万円程度となっており、日本に比べると葬儀費用を中心に破格に安い原因 (出典)世界の葬儀費用

 イギリスの葬儀は、日本のような「通夜」「初七日」「49日」などはありません。あるのは、告別式のような葬儀だけです。
葬儀は死後から10日経った頃に行なうといった、故人よりもご遺族の都合を重視しています。
 その間、遺体は、葬儀社の齋場、または教会の礼拝堂か教会内に安置されます。

 アメリカの葬儀費用は棺が高額であること、エンバーミング施行数が世界一であることで高額になっているようです。

※ エンバーミング (embalming) とは、遺体を消毒や保存処理、また必要に応じて修復することで長期保存を可能にする技法。日本語では死体防腐処理、遺体衛生保全などという。


老後の先を考える

 お葬式の値段(費用)は地域、方法、人数、その他により幅、開きがあり単純に平均費用を算出するには困難がありますが消費者協会主催のアンケート調査によりますと下表の通りとなっています。
 支払い先は葬儀社、飲食接待関係、そして寺院関係に大別されます。合計で全国平均が239万円となっています。

■ 葬儀社への支払い
 全国平均 151万円
 80万円~400万円の幅。原価40%と言われる
■ 飲食接待料
 全国平均 39万円 通夜、火葬後飲食など
■ 寺院関係費用
 全国平均 49万円 読経、お布施、戒名料など

(計) 全国平均 239万円

(会葬者人数、葬儀方法、地域格差により大差あり。2003年調査)

■ 葬儀社、飲食でかかった費用(上表の190万円)総額の比率と幅
 350万円以上    16%
 150万円~350万円 54%
 150万円以下    30%

 平均214万円。 上表では190万円 (寺院関係除く)

(出典) 葬儀費用の本当の相場教えます!

 ちなみに外国の葬儀費用総額の平均は、英国12万円 米国44万円、ドイツ19万円、韓国は37万円、だそうです。

(出典)インターネットで戒名値段・葬式の相場・冠婚葬祭を調査
女優 故・高峰秀子さん 戒名は不要、葬式も不要

戒名不要、葬式無用と言って、高峰秀子さん逝く

 2011年1月13日 7時00分: 暮に女優の高峰秀子が86才で亡くなった。 生前、 「葬式は無用、戒名も不要。 人知れずひっそりと逝きたい」と云っていたそうだ。
 1924年(大正13年)3月27日 – 2010年12月28日。高峰秀子は、函館市出身の日本の女優、歌手、エッセイスト。愛称:デコちゃん。
夫は映画監督、脚本家の松山善三。本名:松山 秀子
 1929年5才の時、映画『母』に子役でデビュー、戦前の「馬」「綴方教室」、戦後の「カルメン故郷に帰る」、「二十四の瞳」「浮雲」など多数の映画に出演。
 1979年に女優引退。引退後はエッセイストなどの活動をした。天才子役であり、大女優であった。
「葬式無用。生者は死者の為に煩わさるべからず」と言っていた。
実際、元旦の朝刊で逝去が報じられたが、実際には12月28日に亡くなっていた。


 最近は戒名をつけない、「友人葬」がかなり普及してきたが、20年前に始まったとされている。また、散骨などの「自然葬」の方法も始まったのが1991年とされるかた、ちょうど20年前である。
 1991年と言えば、バブル崩壊の年とされる。その頃の葬儀代は、3,544,000円(354万4千円)、93年には、4,050,000円(405万円)にまで上昇した。それ以後葬式代は下がり続け、239万円というのが今の平均値である。
 今は、友人葬という無宗教葬、自然葬という方法も多くなり、また仏教式ではあるが、つつましやかにする密葬も多くなった。
 それにしても日本の葬儀代239万円は高い。ドイツは19万円、英国は12万円、韓国は37万円と言われる。

その葬式代は3つのことで構成される。
 ■ 一つは、葬儀代そのもの
 ■ 二つ目は、寺院に支払うお経のお布施と戒名代金のお布施
 ■ 三つ目は、葬儀の時の飲食接待費
である。
 このうち、二つ目の寺院に支払うお経のお布施と戒名代金のお布施を減らすだけでも大きな軽減になる。
 特に戒名料金が大きい。寺院は決して戒名代とは言わないが、実質は戒名料、戒名代金である。
 それが普通戒名で15万円から20、30万円、院号付き戒名なら50万円から100万円~200万円もするのだから、納得のいかない料金体系である。
近頃、イオンがお布施の相場を公表したが、仏教界の猛反対にあって、それに屈服したか、譲歩したのか、裏取引があったのかわからないが、相場を引っ込めてしまった。

イオンが提示したお布施の金額目安は以下のようなものだった。
 ■ 読経一式 + 普通戒名(信士信女)または普通法号=25万円
 ■ 読経一式 + 居士大姉戒名=40万円
 ■ 読経一式 + 院号居士大姉戒名または院号法名=55万円
 ■ 火葬場炉前読経のみ 直葬+普通戒名(信士信女)
  または普通法号=10万円

(出典)インターネットで戒名値段・葬式の相場・冠婚葬祭を調査
低価格での戒名取得のご案内

低価格での戒名取得のご案内

最早、戒名に高額なお金を支払う時代ではありません。
当会ではご戒名を23,000円(院号なしの場合)で作成しています。
居士大姉・信士信女が同価格です(価格詳細は下記)
 居士大姉・信士信女は、23,000円(釋・釋尼も23,000円)
 院号付きは、38,000円

(出典)日本生前戒名推進会 (HPの主催者とは関係ありません)
ぼったくりの葬儀費用
 日本は、英国の20倍、アメリカの5倍でどうみても、日本の葬式・葬儀費用は、異常に高い。関東と関西で葬儀を行うあんしん館(兵庫県西宮市)。松澤典央代表取締役の話によると、
費用が高い理由は、仕入れ値に対する販売価格が高すぎると指摘する。つまり儲けすぎているというわけだ。5000円の棺を10万円で売る、300万円で購入した祭壇を何度も使いまわした挙げ句、1回100万円で貸し出す、といった強欲なビジネスモデルがまかり通っている。利益率が9割にのぼることもあり、松澤代表は「詐欺と同じように見える」という。

 また、葬儀費用とは別に心付け(チップ)を要求する葬儀社があり、専用の封筒を用意していることもある。1回の式で5~15万円にもなるそうだ。松澤代表は、
大切な人が亡くなって普通の精神状態ではない時に要求され、葬儀社の言いなりになることが多々見られます。本当におかしなことです

**** 利益率が9割とは、悪徳と言うより、詐欺的な商法だ。
5000円の棺が10万円とは、ぼったくり同然ではないか、300万円の祭壇を何度も使いまわし、100万円の祭壇料を要求する。人の不幸に漬け込む怖いビジネスだ。
**** 墓地や墓石も似たような傾向はないか・・・
亡くなったら、葬式など御免だ・・・
しずかに家族または、知り合いの人間に見守られたいと思っている。そもそも、戒名も松竹梅とランクづけがあると聞いたが・・・
坊主か、飯の種に、高額な戒名料など要求するなら、戒名をつける必要は、全くない。
生前に、自らが、つけたいと思う名前をつけるのが一番。
そもそも、来世など信じていない汎神論者のわたしにとって・・・
戒名なんか迷惑な話だ。
 戒名の中には、数百万円以上するものもあると・・・
これ、あくどいビジネスとしか言いようがない。なんか、ばかばかしくなる。

(出典) 『葬儀は、要らない』(島田裕巳著、幻冬舎新書)

 

こんな葬儀社は要注意
 お葬式で後悔しないためには、事前の準備が本当に大切です。しかし、あなたがどれだけ完璧に準備をしていても、それだけではお葬式はできません。
 実際にお葬式をあげるには、たとえ「火葬だけ」であっても、必ず葬儀社さんのお手伝いが必要になります。そして、お葬式の満足度に一番大きく影響するのが、葬儀社(担当者)の良し悪しです。
まずは、以下の3つのポイントから避けたほうがよい葬儀社を見極めましょう。


避けたほうがよい葬儀社を見極めるポイント

見積り依頼時の対応
大丈夫ですから、今はそんなことより看病に専念しましょう
その時になってみないと分からないものなんですよ
 もし問い合わせた際にこんなことを言われたら要注意です。
万が一のときは安心してお任せください
 と言いながら、結局は見積りを出さない。これも同じことですが、内容や金額が分からないままではとてもではありませんが安心できません。まず、「事前の見積りに対応したくない!」というような葬儀社は避けましょう。

見積りの内容
フォーマットがない
 レポート用紙に手書きで書いてある見積書をたまに見かけます。見積りのフォーマットなんて簡単に作れるものなのにそれすらないということは、普段しっかりとした見積り対応をしていない可能性が高いです。
飲食、返礼品などの実費費用が書いていない
 これからは葬儀にかかる費用の全てを含んだ「総額表示」が基本になっていきます。数によって変わるものだというのはよく言われることですが、単価や予想人数を設定すればいいだけの話ですよね。
斎場利用料も同じです。斎場利用を希望している場合も、良心的なところなら「○○斎場利用の場合」と、金額を明記しています。

対面相談時の対応
○○の会など、葬儀社独自の会員制度をしつこく勧める
 入会するのは自由ですが、営業トークにつられて入会するのではなく、あくまでも最終的に「ここにしよう」って決めた後にしましょう。
あまり説明してくれない ・説明がよく分からない
 見積りの項目には、普段見慣れないものも多いうえに、ほとんどの方は葬儀に関して素人です。素人に分かりやすく説明できないということは、知識や経験が乏しいかもしれません。
相性が合わない
 どんなに評判が良い葬儀社さんでも、喪主と担当者との相性が合わないと結局はうまくいかなかったり、後悔が残ったりします。そして、相手に「この人と合わないな…」と思わせてしまうのには何かしらの原因があるものです。避けたほうが無難でしょう。
 「相談のときの担当者の対応」が、そのまま「本番(お葬式)のときの対応」です。お葬式間はずっとお世話にならなければいけない人になりますので、ここの選択だけは間違えたくないものです。お葬式の内容だけではなく、担当者の人柄や雰囲気にも注意してみましょう。


大幅値引きの裏側

 大幅な値引きをうたい文句にしている葬儀社の広告を見かけたことありませんか?
 たとえば「○○の会に入会された方は、祭壇費用を50%OFFにさせていただきます。」というようなものです。たとえば70万円の祭壇であれば、35万円になるということです。
 実は、こうした値引きは決してお得なものとは言えず、多くの葬儀社が使っているただの顧客囲い込みの手法です。
 葬儀社は、他の業界と違いおおっぴらな営業活動ができません。営業活動ができない分、広告を出したり、地域の活動に積極的に参加したり、病院に入ったりと、様々な方法で選ばれやすくしておく必要があります。そのうちの方法の一つが会員制度なのです。次の2つの文章を比べてみてください。
50%OFFにしますから、万が一の際は当社へ
会員の方に限り50%OFFにしますから、万が一の際は当社へ
 どちらが信用度が高く、お得に感じるでしょうか? 多くの方が後者を選ばれると思います。
安くしますから、万が一の際は当店へ」では、誰に対しても同じことを言っていると捉えられ、信用度やお得感は低くなります。
 ところが、ここに「入会」という理由をつけて、「会員に限り特別に安くします」とすると、自然なことに感じ、お得感も増します。
 これが会員制度の目的です。仕組みはもう少し複雑ですが、互助会も基本的にはこれと同じと考えてよいでしょう。
 そして、たとえ50%OFFにしたとしても必ず利益は出ています。利益の出ない仕事をしていては、会社は成り立ちません。大幅な値引きをしても必ず利益は出る仕組みになっているのですから、値引きしたように見せている部分は最初からなくてもいいものだと言えます。
 葬儀の費用には「定価」というものがありません。各葬儀社が独自で価格設定をしているので、市場価格というものもありません。定価がないのに50%OFFなんて、考えてみたらおかしな話だと思いませんか?
 つまり、「大幅値引きをして『お得感を演出』するための金額設定」が最初からされていると考えて良いでしょう。値引き後の金額が適正なのであって、決してあなただけが得をしているものではありません。
 友の会に入会することが条件で大幅にサービスされるような場合は、もともとの金額が適正なのかを疑ったほうが無難です。
 混同しやすいので注意してほしいのですが、最初に高い値段を付けてから値引きをする「上げ底商法」と、必要ないもの・不適当なものを考えながら省いていって金額を抑える方法とでは、お葬式の内容や質が全く違います。この2つの大きな違いは、「葬儀社主導」か「自分主導」かの違いです。
安かろう・悪かろう」に引っかからないためには、葬儀社の設定に振り回されず、自分主導で話を進めることが大切です。大幅値引きを見たら、その裏側を考えるようにしてみてください。


まとめ

 良心的な葬儀社さんを判断する材料は、人のうわさでもありませんし、知名度でもありません。ましてや、広告の大きさや会社の規模などでは決してありません。
 判断するのは、あなたの目であり、感じた印象であり、あなた自身です。
 問い合わせた葬儀社が、あなたが希望している内容にしっかり耳を傾け、真剣に対応しようとしてくれているのかを、あなたのほうでも真剣に判断してください。そうすればきっと「ぼったくり葬儀社」にあたることはありませんし、お葬式で後悔することも避けられます。
【出典】価格.com(葬儀): 葬式のお役立ちノウハウ

 


あなたはご存知でしたか最低額でも年間58万円 がんでも、実はもらえる意外な「公的年金」
 骨折、腰痛、うつ、糖尿、緑内障でももらえます!

 もしもある日突然、大ケガをしたり、大病に罹ったりしたら—。そんな時、あなたがこれまで納付してきた「年金」が、助けになるかもしれない。
まだ認知度が低い「障害年金」の活用法を紹介しよう。

国はあえてPRしないけど
 3年前に肺がんを患った、元家電メーカー社員の望月孝さん(53歳、仮名)は、自身の体験をこう語る。
'12年の4月、会社の健康診断で撮ったレントゲンで胸に影が見つかったんです。詳しく調べてみたところ、肺がんだと診断されました。検査入院の後、左肺の摘出手術をしました。手術後は抗がん剤治療の副作用で、食欲がひどく落ち、全身が気だるく、手足も痺れ、とても以前のように仕事はできなかった。結局、会社を辞めることになりました

 手術費用などはがん保険でまかない、蓄えも少々はあるものの、一人息子はまだ高校生。たとえ繰り上げ受給をしたとしても、年金をもらえるのはかなり先のこと。これからの生活をどうするのか、途方にくれた。
 そんな望月さんに、思わぬところから「救いの手」が差し伸べられた。がんで公的な補助をもらえるかもしれない—そんな話を、ケースワーカーから聞いたのだ。
『障害年金』の名前は聞いたことがありましたがどんな制度かは知らなかった。藁にもすがる思いで請求を決めました。医師に診断書を作成してもらい、年金事務所に請求したところ、私の場合は『障害基礎年金』『障害厚生年金』ともに2級だと認定されました。妻と子の分の加算があって、年額で225万円ほど受給できることになったんです。本当に、窮地を救われました

 望月さんのケースのように、「障害年金」が、がんでも受給できることをご存知だろうか。
「障害」と名前がつくくらいだから、手や足が不自由だったり、身体的な障害に関する年金なのだろう。病気で後遺症があっても、自分とは関係ない年金だ、そんなふうに思い込んでいる人は多いはずだ。

 障害年金は、老齢年金、遺族年金と並ぶ、3つの公的年金の一つ。年金加入者が大ケガや大病を患った時に、堂々と請求できる権利である。
障害年金は請求しなければ受給できないが、国は支給額が増えるのを嫌がって、積極的にPRしているとは言い難い。そのため、この制度を知らずに、もらえるはずの年金を受給できていない人は多い。
 がんや内臓疾患の等級判断の際に用いられる主な目安の一つは、次のような5段階の区分だ。
 (ア) 無症状で、社会活動ができる。
 (イ) 軽度の症状があり、肉体労働は制限を受けるが、歩行、軽作業や座業はで
    きる。
 (ウ) 歩行や身の回りのことはできるが、介助が必要なこともある。軽労働はで
    きないが、日中の50%以上は起きている。
 (エ) 身の回りのある程度のことはできるが、しばしば介助が必要で、日中の 
    50%以上は就床している。自力で外出することは、ほぼ不可能。
 (オ) 身の回りのこともできず、常に介助が必要で、終日就床を強いられ、活動
    の範囲がおおむねベッド周辺に限られる。

 この(イ)か(ウ)に該当すると3級、(ウ)か(エ)だと2級、(オ)だと1級に相当する。これらが、医師の診断書などの資料をもとに、日本年金機構の認定医によって判断される。
 「実際に受給が認定されるのは、がんのステージが進んでいるケースや、転移・再発の場合が多い」(宇代氏)というものの、がんでの闘病生活により、全身が衰弱して(イ)の状態に陥ることはよくある。その場合、厚生年金であれば、3級に認定される可能性があり、障害年金をもらえるということだ。
「週刊現代」2015年4月25日号より 全文はこちらへ

 宗教論

処世訓と宗教
 私は、世渡りが下手な方ですが、「人間関係」には気をつけるようにしています。ところが貧乏くじを引くのは、大抵、私のほうです (^^;。
私が妻に「私が何をしたのですか?」と言うと、「何もしないから問題なのよ!」という答えが返ってきます。
 さて、宗教の言葉には意味不明の言葉が多いですね。
例えば、禅宗(曹洞宗)でよく使われる「色即是空」にしても、意味不明です。
 僧侶の説教で「万物の本質は空である」と言われましても、物理的に存在するものが何故、空なのかという疑問が出てきます。 意味不明な言葉で人心を惑わす事は、どうかと思うのです。
 仮に、僧侶が素晴らしい説教をしたとしても、仏様を拝んで病気が治ったり、収入が増えるわけがないのです。仏様を拝んで収入が増えるのは、お経を上げている僧侶くらいでしょう。

禅宗「釈迦三尊仏
 宗教を信じようとする人々は、自分の意志が弱いと思います。
宗教団体にも色々ありますが、所詮、観念論の世界なのです。(観念論:事物の実在性だけでなく、抽象的に解釈させる観念によって認識が成り立つというもの。)
 しかし「神仏を信仰することで幸福になれた」方もいるようで、そのような人達には、宗教は医者や薬代わりになるのでしょうね。
 ところで、故人の戒名の金額は、宗派や僧侶によって異なりますが、大体の相場は3万円~5万円ぐらいだそうです。しかし、本来、戒名には値段は無いはずです。
 高い戒名になると、お寺や僧侶から、一文字につき10万円も請求される場合もあり、問題にされています。

葬儀会場
 例えば、戒名に「院号」「道号」「位号」をつけると、葬儀の読経を含めて、100万円以上請求されるようです。
 仏教では、戒名を頂くと出家した僧と同様に、死後は個人でも極楽に行けるとされています。
 つまり修行もせず、信心が足りなくてもお布施を払って戒名を頂けば、誰でも極楽に行けるという虫のいい話なのです。しかし、戒名がない人は、残念ながら極楽には行けないことになります。「地獄の沙汰も金次第」なんですね。
 私は、人が死ぬと骨と灰になるだけで、天国・地獄・極楽などに行くことは絶対にあり得ないと思っております。
 死後の世界は、輪廻転生(生まれ変わり)しかありません。
従って戒名は必要ないと思いますが、家族や親族が故人を偲び、思いを紡ぐためには、戒名が書かれた位牌がなければ困るのでしょうね。

おわり
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